お知らせ

東京高等裁判所からの判決受け取りについて

2022.05.06

控訴人としての監査法人アリアは、

令和4年3月9日に判決言渡を受けました。

結論は、第1審判決(東京地方裁判所)を支持するものであって、

本件控訴は棄却されました。

 

この裁判は、当方が、平成29年6月8日に公認会計士監査審査会が公表した勧告の中で、当方の監査体制の不備として指摘している内容が、あまりにも事実とかけ離れ、当方の信用を失墜するものであるため、その公表の差し止めと、この公表によって生じた当方の名誉棄損による損害賠償(国家賠償)を求めたものです。

 

しかしながら、当方、監査法人アリアは、今回の東京高裁判決にはまったく同意できません。

なぜならば、

勧告が、当方の不備として公表するところが証拠により正しいと認定できる真実といえるのか、という本件の最も基本的な論点について、裁判所は判断を回避しているからです。客観的に正しい事実の公表と認められるか否かの問題は棚上げにして、「国賠法上は『違法』ということはできない」として、当方の請求を棄却する結論を出しているからです。

さらに今回の判決では、上告を踏まえて、第一審判決の不十分なところを敢えて補充するような判決文の改定がなされています。しかしながら、明らかに国側が事実誤認をしている部分は、これを敢えて無視するという判決文となっています。

 

そもそも、勧告が当方の不備として指摘するところは、客観的証拠に反し、あるいは監査ルール等の解釈を誤ったもので、勧告の内容は当方に対する名誉・信用棄損文書です。当方はそのことを、金融庁企業開示課との審問の場でも、客観的な証拠と、当時適用されていた監査ルール等を提示することにより、積極的に明らかにしてきました。

 

この裁判と並行して進められていた、当方と金融庁企業開示課との12回以上に及ぶ審問の場では、当方からの説明や指摘に対して、企業開示課は、追加的な質問やそれを踏まえた反論を提示することが出来ないまま、最終的には手続きを中断せざるをえませんでした。

今回の裁判所の判断は、

「審査会の当該認定をしたことが、裁量権の範囲を逸脱・濫用した不合理なものであるということはできない。」

「・・・と認定したことが不合理であるということはできない。」

「本件公表が国賠法上の違法ということはできない。」

などというばかりで、「勧告の内容が客観的に正しいのか」という本件の最も基本的な論点の中身に入ることを避ける判断に終始しています。

 

勧告の内容が正しいから当方の請求を否定するというのではなく、あくまで公務員の裁量権や、国賠法上の観点から照らして、当方の損害賠償請求は認められない、という文言であり、誤った行政の行為により国民に被害が生じていることは放置して、とにかく国側を擁護するという姿勢が窺えます。

本件のような場合、国賠訴訟は、行政の不当な行為の責任は適当に有耶無耶にして、

国側勝訴を結論付けるという暗黙の不文律が存在するのではないか、とも思えてしまいます。

 

しかしながら、

判決文の最後のページには、

「この結論は、仮に、審査会が認定した本件勧告、本件公表に関わる事実の一部に認められないものがあったとしても、・・・」

という極めて重要な文言が存在しています。

 

実はこれが裁判官の本音であり、核心ではないかと思うのです。

なぜならば、判決の本文中には、問題の「不備」にかかるすべての個別項目につき、

「当該認定をしたことが、裁量権の範囲を逸脱・濫用した不合理なものであるということはできない。」として、当方の主張を否定しているにもかかわらず、上記の結論は、

「仮に・・・」ということを記述しているのです。

 

当方の主張は証拠上根拠もあり、極めて合理的なのです。

そのために、裁判所としても、「仮に勧告の内容に間違いがあっても、・・・」

とつい本音が出てしまったと想像されます。

 

当該判決では、「仮に、勧告・公表した事実の一部に間違いがあっても」大半の事実が相当と述べていますが、

真実は、真逆であり、勧告・公表した内容の大半が間違いであるということを

実は裁判官の方も、既に認識しているのではないか?無理に当方の監査体制に問題があったと強弁している公認会計士監査審査会と国側を、裁判所もまた無理を重ねて擁護しなければならないことに、実は裁判官たちも辟易しているのではないでしょうか?

 

引き続き、当方監査法人アリアは、当方の名誉を守り、信用棄損を回復するために、正当な主張をするつもりです。